2021年3月15日月曜日

解説:免訴と公訴事実等の審理

戦前の日本社会では, 天皇の名誉を保護法益とする「不敬罪(旧刑法74条1項)」が存在しました. 

その条文は「天皇, 太皇太后, 皇太后皇后皇太子又ハ皇太孫ニ対シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス」となっており, 

現行刑法(230条1項)の「公然と事実を摘示し, 人の名誉を毀損した者は, その事実の有無にかかわらず3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」と比べると, 遥かに重い刑を予定していました.

そして, 1945年8月15日(あるいは9月2日)の終戦をもって, 日本の司法は, GHQによる民主化圧力を受けることになります.

そうすると, 不敬罪のような野蛮な法は, もはや容認されなくなるわけですが, 悪法も法ということばもあります.

1946年5月19日の食糧メーデーの際に「ヒロヒト 詔書 曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」などと書かれたプラカードを掲げたことが不敬罪に問われた事件があり, これをプラカード事件と読んでいます.

なぜ終戦後にもかかわらず不敬罪に問われたかといえば, 1946年10月26日に刑法が改正され, 不敬罪が削除されるものの, それまでは不敬罪の規定が依然存在したためです.

そして, 検察はプラカード事件の被疑者を不敬罪で起訴し, これに対してGHQが名誉毀損罪に罪名を変更するよう圧力を掛けた結果, 第一審は名誉毀損罪の成立を認め, 懲役8月としました.

第二審では, 1946年11月3日の大赦令が不敬罪にも及ぶとして, 免訴としました. これは, 刑事訴訟法363条(現行刑事訴訟法337条3号)の規定によるものでした.

これに対し, 検察側は上告をしましたが, 最高裁はこれを棄却しています.
すなわち最高裁は「第一審が大赦令の施行にもかかわらず実体上の審理をして, その判決理由において被告人に対し有罪の判定を下したことが, 大赦の趣旨を誤解したものであって違法」であるとして, これを高裁が免訴に変更したのは当然...としたわけです.

また, 最高裁は「恩赦令によれば, 大赦は, その対象とする罪につき, 未だ刑の言渡を受けないものについて公訴権を消滅させる(恩赦令第3条)のだから, 本件のような場合は大赦例の施行によって公訴権が消滅し,実体上の審理を行うことが許されず, 単に免訴の判決をするほかない」としています.

このように「公訴権が消滅したのだから実体審理も許されない」という考え方は, 今日でも通用するもので, 一般に不告不理の原則として理解されています.


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